2016年11月21日月曜日

1-126 摂州須磨の浦

整理番号:1-126
シリーズ:
名称:攝州須磨の浦
本文:
画像:
 これは所謂手彩色写真といわれるものである。
 須磨の浦とは兵庫県の神戸と明石の間にある須磨にある浦である。信号があることから山陽本線須磨~塩屋間のうち須磨寄りの地点と思われる。
 この区間は1888年に山陽鉄道の路線として開業、1906年に国有化され、1909年の線路名称制定により山陽本線となる。
 
 奥からやってくるのは山陽本線上りの旅客列車で、編成長は長めのようである。機関車は絵がつぶれていて形式特定は困難だが円室からエンドビームに伸びるバーのようなものが確認できるためアメリカ型のように思えるがはっきりしない。客車の形式も特定は困難だが明るめの茶色で塗られている。また、最後尾の客車は少し背が高く、屋根は白、側面は明るい緑で塗られている。最後尾から2番目の客車の窓の下には白い線がみられる。一等車だろうか?

 腕木式信号機の腕が下がっているので進行の意味だと思われます。腕木式信号機は腕木の色でその信号機の意味を表しますが、この場合のいみははっきりしません。

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1-104 大阪大正橋の絵葉書

整理番号:1-104
シリーズ:大阪
名称:大阪 大正橋
本文:マー珍ラシイ橋ダンナー、コンダケ長イノニツカガヒトツモノ!テヨーモツタモンヤナー、不思議ヤオマヘンカ、コノ川ダツ木津川デココハ船津ノ渡ト云フタ場所ダンガ、近頃架カツタンデ難波橋ヨリモツト後ニ開通シタノダト
画像:


 大阪大正橋は1914年(大正4年)に木津川に架橋されたアーチ橋で、アーチ支間91.4mの日本最大のアーチ橋だった。
 これは橋を架けるにあたって橋の上流側にあった企業の水運に配慮してできたものであった。しかし地盤が弱い場所に技術が未熟なアーチ橋を架けたことによって橋全体が徐々にたわむようになっていった。戦後にたわみがひどくなったことから架け替えが行われ、1969年にこの橋は役目を終えて解体された。現在の大正橋はこのとき作られたもので、アーチ構造ではなく通常の連続桁橋となった。

 橋の中ほどには路面電車の車両が見える。これは大阪市電九条高津線の西線で1915年(架橋の翌年)開通の路線だ。移っている電車は奥から手前側に向かって走っていることから安治川二丁目渡停留場に向かう電車と思われる。電車の車両番号は見えないが形態からして大阪市電11型と思われる。

木津川には多数の木造の船が見える。手前のつながれている船には特に積み荷は見えないが、橋の陰にほとんど隠れている船には何かしらの積み荷が満載となっている。

橋の上には市電の他に多数の歩く人と人力車が一台見える。暑い日なのか頭巾をかぶっている人もいる。



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