2012年12月12日水曜日
2012年12月9日日曜日
朝鮮鉄道の絵葉書
我が家に代々伝わる絵葉書の中から朝鮮鉄道に関するものについて。
まずは釜山停車場(釜山駅)
撮影時期は改築後なので1912年以降であることは確かだが詳細は不明。
絵葉書の駅舎は1905年、草梁駅として作られたもの。
釜山駅そして釜山埠頭駅への改称後も使われたが1953年の釜山大火で焼失した。
駅は大火のあと仮駅舎で営業していたが1966年現在の駅舎の完成と同時にに現在の位置へ移動し、現在に至る。
釜山駅略歴
1905年草梁駅として開業
1908年釜山駅に改称
1912年改築工事
1943年釜山埠頭駅に改称
1945年駅名を釜山駅に戻す
1953年釜山大火によって駅舎焼失、仮駅舎で営業
1965年営業一時停止
1969年現在の位置に新駅舎完成。営業再開
現在に至る
釜山港東海岸ノ景
釜山駅及び第一、第二埠頭を望む。右側が第一埠頭、左が第二埠頭である。
撮影時期は不明だが釜山駅に駅舎の改築前であるから1912年以前である。
駅の前に市電の車両(形式不明)が止まっている。
朝鮮大田市街前景
現在の韓国忠清南道大田。
撮影時期は不明だが1905年の大田駅開業後なのは確かである。
駅構内には多数の客車、有蓋貨車、無蓋貨車が停車中である。
左奥の給水塔の横にはタンク式蒸気機関車が給水中である。
朝鮮鎮南浦停車場
鎮南浦は現在の北朝鮮平安南道南浦。
撮影時期は不明
停車中の列車
機関車はプレイ形蒸気機関車77である。
3両の客車はすべて形式不明である。
最後尾の2軸有蓋貨車も形式不明。
上:鴨緑江鉄橋回転の景
下:冬期の鴨緑江
撮影時期は不明。
橋の正式名称は鴨緑江第一橋梁で、1909年に完成。
当時、朝鮮と支那(現在の北朝鮮と中国)を結ぶ初の鉄道橋として開通した。
橋の中央部は船舶が通行できるように旋回する可動橋であったが1934年に稼働を停止した。
戦前には鮮満鉄直通列車が通行していたが、1950年朝鮮戦争中に国連軍によって朝鮮側が爆破された。
現在は爆破を免れた中国側数径間が鴨緑江断橋として保存されている。
まずは釜山停車場(釜山駅)
撮影時期は改築後なので1912年以降であることは確かだが詳細は不明。
絵葉書の駅舎は1905年、草梁駅として作られたもの。
釜山駅そして釜山埠頭駅への改称後も使われたが1953年の釜山大火で焼失した。
駅は大火のあと仮駅舎で営業していたが1966年現在の駅舎の完成と同時にに現在の位置へ移動し、現在に至る。
釜山駅略歴
1905年草梁駅として開業
1908年釜山駅に改称
1912年改築工事
1943年釜山埠頭駅に改称
1945年駅名を釜山駅に戻す
1953年釜山大火によって駅舎焼失、仮駅舎で営業
1965年営業一時停止
1969年現在の位置に新駅舎完成。営業再開
現在に至る
釜山港東海岸ノ景
釜山駅及び第一、第二埠頭を望む。右側が第一埠頭、左が第二埠頭である。
撮影時期は不明だが釜山駅に駅舎の改築前であるから1912年以前である。
駅の前に市電の車両(形式不明)が止まっている。
朝鮮大田市街前景
現在の韓国忠清南道大田。
撮影時期は不明だが1905年の大田駅開業後なのは確かである。
駅構内には多数の客車、有蓋貨車、無蓋貨車が停車中である。
左奥の給水塔の横にはタンク式蒸気機関車が給水中である。
朝鮮鎮南浦停車場
鎮南浦は現在の北朝鮮平安南道南浦。
撮影時期は不明
停車中の列車
機関車はプレイ形蒸気機関車77である。
3両の客車はすべて形式不明である。
最後尾の2軸有蓋貨車も形式不明。
上:鴨緑江鉄橋回転の景
下:冬期の鴨緑江
撮影時期は不明。
橋の正式名称は鴨緑江第一橋梁で、1909年に完成。
当時、朝鮮と支那(現在の北朝鮮と中国)を結ぶ初の鉄道橋として開通した。
橋の中央部は船舶が通行できるように旋回する可動橋であったが1934年に稼働を停止した。
戦前には鮮満鉄直通列車が通行していたが、1950年朝鮮戦争中に国連軍によって朝鮮側が爆破された。
現在は爆破を免れた中国側数径間が鴨緑江断橋として保存されている。
2012年12月8日土曜日
鉄道五千哩祝賀会記念絵葉書
明治39年(1906年)に名古屋で行われた鉄道五千哩祝賀会の記念絵葉書セットについてです。
鉄道五千哩祝賀会とは日本の鉄道総延長が5000マイル(8000km)に達した時に行われたものです。
なぜか皇太子殿下山陰行啓記念のスタンプが押されている。
右下の写真は名古屋城。絵の蒸気機関車のモデルは1号機関車か?
場所のイメージは東海道線と思われる。また、2B(エイトホイラー)蒸気機関車は6200形がモデルと思われる。
そして3枚目。中央上の機関車は1号機関車と思われる。中央下の絵は横浜新橋間鉄道開業式典御臨幸之図。
そして機関車の周りの鉄道会社のマークは・・・
一番上の段左から
関西鉄道、不明、不明、不明、不明、東武鉄道、京都鉄道、北海道炭礦鉄道
二段目左から
不明、不明、不明、南海鉄道、鉄道省、不明、不明、不明
三段目左から
不明、阪鶴鉄道、山陽鉄道、不明、不明、不明
四段目左から
不明、不明、不明、不明、甲武鉄道、伊予鉄道
五段目左から
不明、不明
中央下の絵の左側上から
不明、日本鉄道、不明
中央下の絵の右側上から
不明、不明、不明
です。
不明となっているところは判明次第修正します。
情報募集中です。
明治の三池炭鉱鉄道~三池炭鉱万田坑及び三池炭鉱鉄道~
福岡県大牟田にあった三池炭鉱万田坑及び三池炭鉱鉄道についてです。
1911年ごろに撮影された絵葉書です。三池萬田坑
手前のやぐらが第一立坑、奥が第二立坑です。現在は第一立坑は基礎しか残ってませんが、第二立坑は保存されていて現存します。
手前の線路及び車両は三池炭鉱専用鉄道のものです。
三池炭鉱専用鉄道は開業時は蒸気機関車を使ってましたが、後に電化されました。絵葉書は電化後です。
一番手前の線には凸形電気機関車1両とホッパ車が2両。凸形電機は明治44年に独シーメンス社から輸入された凸型20t電気機関車とおもわれます。現在、静態保存されているそうです。
手前から3番目の線には2軸ホッパ車が2両。
4番目の線には2軸無蓋貨車の55と2軸ホッパ車の652が停車中です。
三池炭鉱専用鉄道は1891年開業の軌間1067㎜の専用鉄道で、1997年廃止。現在は三井化学専用線となってます。
2015年7月に九州・山口の近代化産業遺産群としてこれらの遺構が世界遺産登録されました。
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