2016年1月14日木曜日

五日市線岩井支線跡探検

MARUMOの廃線跡探検シリーズ第一弾。
まあブログに挙げてないだけで実際は結構あちこち行ってるんですがね。

今回は東京都奥多摩、武蔵五日市駅に行ってきました。目的の廃線跡はもちろん岩井支線です。

先日1月9日に余った18切符を消化しがてら五日市線に乗り、五日市線武蔵五日市~武蔵岩井間、通称”岩井支線”の廃線跡を見に行きました。

武蔵五日市駅に到着。


まあこの駅前には特に用はないのでソッコーで岩井支線の分岐点へ
ちなみにこの駅前広場はもともと貨物操車場だった場所です。

このあたりが元分岐点のあたり。右上が五日市線の高架線
奥の山の土留板のラインが元線路のラインです。私有地のようなので近くによって見たりはしませんでしたがもしたしたら他の地点と同じようにレールを用いた土留板かもしれません。
 

どうやらこのあたりの山の裾ラインがそのまま線路跡のラインのようですね。


道路脇に石碑郡を発見。

れっかがはげしくて読めないものが多いですがどうやら馬頭観音と書いてあるよう。

















おそらく一番奥の上部がかけた石仏が馬頭観音なんでしょう

さて、本来の目的に戻りましょう

すこし上ったところに10mほどだけ鉄道柵が残っています。


この先線路跡は道から少し外れて老人ホームの真ん中を突っ切るように進みます。















老人ホームを抜けた後線路跡は再び道路に並走します。
線路跡にある盛り土。しかしこれは線路の物ではなく廃線後に盛られたもののようです。



大久野中学校を抜けた後ここで秋川街道から外れて小道に入っていきます。


ここの駐車場の下にも鉄道柵が残っています。この駐車場は線路跡の盛り土を拡張したものか?

ここが大久野駅跡


駅跡は現在、語らいとふれあい広場という公園になっています。
駅の範囲とこの公園は完全に一致しているわけではないですがおよそ同じものとみていいでしょう。

この先は舗装されていない道に入っていきます。

この道は線路とバラストを撤去しただけで殆どそのままのようですね。

ここの土留板は線路を再利用して作られています。
そのうち一本の銘をみると新日本製鉄で1980年10月に作られたものだそう。この区間の廃線は1971年なのでここにひかれていた線路を再利用ってわけではないようですね。

途中で左側に分岐するのが今でいう太平洋セメントの子会社、太平洋プレコンの日の出工場へ向かっていた貨物支線の跡です。

太平洋セメントは会社の統廃合が激しいのでこの貨物支線が現役だったころの工場の名前はよくわかりません。

で、こっちが本線。

武蔵岩井駅方面です。この先は現在林道の工事中で立ち入りはできません。

ということで大回りして駅跡の前に回り込みました。


ここが武蔵岩井駅跡。近年までは武蔵岩井駅のホームが残っていて工場の従業員用の自転車置き場になっていたらしいが工事によって跡形もなくなっていました。

岩井支線はここが終点でした。
最期にここまで車両が来たのは1971年今から45年前のことです。その長い年月の中で鉄道の名残は確実に減っていき、今では鉄道柵程度しか残っていません。
その鉄道柵もじきに見られなくなりそうです。

秋川街道に建っていた工事のお知らせです。これによると秋川街道は拡張されるそうなので道路沿いの鉄道柵は抜かれてしまうでしょう。岩井支線に興味ある方は早めに行ってみることをお勧めします。

0 件のコメント:

コメントを投稿